密室セラピーⅠ ――沈黙が、欲を濡らす

 

 

 

 

密室に響くのは、沈黙と、濡れた欲の音。 

触れられない距離の中で、言葉も指も、熱を帯びていく――。 

”一線を越えそうで越えない”、そんなギリギリの心理と身体の攻防。 

官能と安心の狭間で、あなたはどこまで堕ちられる? 

 

 


  

#プロローグ 

あのときの私は、まだ知らなかった。 

指先ひとつで、人はこんなにも乱れるということを。 

声も、熱も、記憶さえも。 

彼に触れられるたびに、私は自分という境界を手放していった。時間も間も緩んでいくみたいに、ただ漂っていた。 

「深呼吸して、力を抜いて」 

低く、響くような声。 そのたったひと言だけで、水沢ひよりの肩が、すっと落ちた。 

ベッドに横たわった彼女の足元に立つ男──セラピストの一ノ瀬慶は、施術着の袖をゆるくまくり上げ、オイルを両手に垂らすと、静かに掌を擦り合わせた。 

「初めてなんだよね、こういうの」  

「……うん」 

「緊張してる? それとも……楽しみだった?」 

問いに応えることができず、ひよりはただ瞳を閉じる。 

そして──その“指先”が、彼女の足首に触れた。 

それは、まるで思考の隙間に入り込むような、柔らかく、それでいて意図を孕んだ感触だった。 

指先がくるぶしの骨をなぞり、ゆっくりとふくらはぎを撫で上げていくたびに、ひよりの呼吸が浅くなっていく。 

「……指先だけで、こんなに感じてるの?」 

くすりと笑うような声。 だめ、言わないで。そんな風に、見透かすように囁かれたら── 

「全身を診るよ。ひよりさんが、どんなふうに乱れていくのか……僕がちゃんと見届ける」 

薬指の先が、膝裏の敏感なところを優しく、でも逃さぬように撫でる。 ぞくり、と背筋が震えた。 

逃げたくなるのに、もっと欲しくなる。 

空気が密度を持って染み込んでいくような、そんな“音のない時間”の中で。 

ひよりは、初めて“崩れていく自分”を自覚した。 

──ただのマッサージじゃない。 

指先だけで壊されるなんて、知らなかった。 

 

  

※この物語の空気が好きな人へ

夜にそっと寄り添うまとめ、置いてあります。

 

 


 

#ひより視点① 

──指先は、まだ触れているだけなのに。 

「……脈が速くなってる」 

くすっと、彼が喉の奥で笑う。その音さえも、ひよりには体の奥をくすぐられるようで、思わず指先にぎゅっと力が入った。 

「何もしてないのに、もうこんなに……」 

「……してるよ」 

小さく、震える声で答えた自分に、自分で驚いた。彼の指先が、ふくらはぎから膝へ── 

そして、太ももの内側の境界を、決して逸れないように這い上がっていく。 

服の上からなのに、まるで素肌をなぞられているみたい。 

「怖くない?」 

「……わからない」 

「でも、逃げないんだね。ちゃんと、受け止めてくれてる」 

彼の掌が、太ももをそっと包み込んだ。 

オイルの熱と、指の圧力。それが呼吸の隙間を埋めるように重なって、ひよりの意識はどんどん体の内側へ沈んでいく。 

「声……我慢してるの?」 

首元に落ちる、ひとつの吐息。 

だめっ…──そんな風に囁かれたら、耐えられなくなる。 

でも、彼の声は離れず、さらにそっと耳元に落ちてきた。 

「もっと…聴かせてよ。ひよりさんの……素直な反応、全部」 

胸が、きゅっと詰まるように鳴った。そのまま、彼の指先が膝の裏を通って、ゆるやかに太ももの付け根をかすめ── 

「っ……ん……!…一ノ瀬、さん………」 

思わず声がこぼれそうになって、唇を噛む。でも、彼はそれすら楽しむように、優しく囁いた。 

「大丈夫。まだ“触れてない”んだから」 

──それなのに、壊れそうだった。 

触れていないはずの場所まで、熱が伝ってくる。触れていないのに、呼吸が荒くなる。 

まるで、言葉と音と気配だけで、ひよりの内側が、じわじわとほぐされていくみたいだった。 

「……少し冷たいかも。でもすぐ、温かくなるよ」 

そう言って、掌にのせたオイルをひよりの太腿の上でそっと広げた。 

空調の静かな唸りに混ざって、くちゅ……と粘度のある音が肌の上で溶ける。 

(やだ……音、響いてる……) 

密室のような施術室。薄く閉じられたブラインドの向こうは昼なのか夜なのかもわからず、ただ、この部屋の空気だけが濃くなっていく。 

「……音、気になる?」 

低くくすぐるような声とともに、親指が内腿をなぞった。 

「こっちの方が……音、立つんだよね」 

──ぴちゃ。 

さっきよりもはっきりとした音が、太腿の付け根に響く。 

それは、肌と肌の温度が重なり、オイルが泡立つように潤みながら、境界を滑る音。 

「……あっ」 

息が漏れる。意図せず、短く甘い音が喉からこぼれた。 

「ごめんなさい……一ノ瀬さん…、声、出ちゃった」 

「大丈夫。もっと出して。ほら、我慢しないで……その声も、ちゃんと聴きたいから」 

言葉の合間にさえ、音が潜んでいた。 

撫でる、すべる、くちゅ、ぴちゃ……。それらがリズムのように部屋に満ちていく。 

「……反応、すごく綺麗。肌も熱くなってきたね、ひよりさん」 

また名前を呼ばれた瞬間、びくりと肩が揺れた。 

自分の名前が、こんなに蕩けそうになるほど甘く響いたことなんてあっただろうか。 

(…どうして、名前呼ばれるだけで…こんなに…) 

首筋にかかった髪を指でそっと払われ、そこにもオイルを含んだ手が触れる。 

ぬるり、とゆっくり滑る感触。肩甲骨を縁取るように沿う指先。そして。 

「ふ──…」 

耳元に、わざと息を吹きかけるような吐息。 

その一瞬で、ひよりの背筋はぞわりと波打ち、全身が跳ねた。 

「音、って不思議だよね。触れてないのに、感じさせることができる」 

──その声だけで、崩れていく。 

理性が、もう、どこまで残っているのかわからない。 


 

ひより視点② 

ふいに、ひよりの耳元で吐息が触れた。 

「……まだ、触れてもいないのに、こんなに……」 

くすぐるように囁かれた声は、ひよりの喉の奥を震わせる。呼吸を整えようとするたび、余計に体が火照っていくのを感じた。 

彼の指先は、ひよりの脚の内側をゆっくりと滑っていた。オイルの膜が肌の上で薄く伸び、かすかに「ぬ」と音を立てながら、秘められた熱をなぞる。 

「……んっ……」 

思わず漏れた吐息が、自分のものとは思えないほど艶を帯びていた。口元を覆って抑えようとしても、声は肌の奥から滲み出るようにこぼれてくる。 

「……ひよりさんの、声……」 

彼の声が近づく。耳たぶをかすめる低い声、そして、そっと添えられた吐息──そのわずかな振動さえ、ひよりの全身をじわりと濡らしていく。 

指が、膝から太ももへ、そして腰のくびれのあたりまで、慎重に、けれど確かに踏み込んでいく。 

触れていない場所が余計に疼き、触れられている場所は、すでに溶けそうなほどに熱い。 

「気持ちよくて……声、出ちゃうんだよね」 

唇のすぐそばで囁かれ、ひよりは思わず身を震わせた。 

「っ、ちが……んっ……」 

否定の言葉は、喘ぎに飲み込まれる。熱くなった喉から、浅く、湿った吐息が漏れるたび、彼の指先がわずかに強く肌を撫でた。 

──音が、絡んでくる。 

オイルが肌を伝う音、ふたりの吐息が重なる音、心音さえも混ざって溶けあっていくような感覚。 

「……まだ、“本番”じゃないのに……」 

くちづけるように近づいた声に、ひよりの背筋が跳ねた。その“声”だけで、また、崩れてしまいそうになる。 

「っ……んうっ……」 

かすかに震えた声を聞いて、彼は優しく、けれど逃がさぬように囁く。 

「安心して。それはひよりさんの内側から、“本当の声”が出ているだけ」 

その言葉に、ひよりは── 

喉を震わせながら、またひとつ、甘い音を漏らした。 

 

 

#一ノ瀬慶視点① 

ラベンダーとサンダルウッドの香りが満ちる部屋で、僕の掌が触れたのは、ただの肌のはずだった。 

けれど──その柔らかさが指先に沈むたびに、彼女の体温が、僕の神経をじわりと蝕んでくる。 

「……ひよりさん、力を抜いて」 

そう囁くと、彼女の肩が少しだけ沈んだ。 

耳のすぐ近くで名前を呼ばれることに、彼女はまだ慣れていないらしい。 

その証拠に、吐息の粒がほんの一瞬だけ震えていた。音を立てないよう、僕は手のひら全体で包むように動かす。 

くるぶしから膝、太ももへ──指先が敏感な箇所をかすめるたび、小さく、浅く、声にならない息が漏れる。 

「……ふっ……」 

聴こえるか、聴こえないかの、ほんの一欠片。 

けれどその音は、僕にとってはどんな喘ぎよりも、鮮烈だった。 

もっと引き出したくなる。もっと、もっと──彼女の声が欲しくなる。 

僕は意図的に手の動きを変える。 

指の腹ではなく、関節の側面を使って、やや乱雑に──だが決して痛くはないように。 

すると、 

「……っん……あっ……」 

空気を震わせるほどの吐息。その一音で、彼女の身体がわずかに跳ねた。 

可愛いと思った。同時に…、このまま追い詰めたい、とも思った。 

「声、我慢してる?」 

問いかけはあくまで優しく。けれど、決して逃がさない距離感で。 

答えを求めてはいない。でも、音が欲しい。 

彼女の“その先”が欲しくてたまらない。 

指先は、太ももの内側へと、じわじわと侵入する。 

決して触れてはいけない場所の**“寸前”**で、ぴたりと止めた。 
 

「……ああ、惜しいところだったね」 

彼女の脚が、ぴくりと震えた。その反応に、僕の口元がゆるむ。 

唇を近づけて、耳元に、ふっと息を吹きかける。 

「次に触れるときは……声、隠せる自信はある?」 

彼女の喉が、かすかに鳴った。 

答えは沈黙──でも、呼吸がすべてを物語っていた。 

────続く。 

 

 

#一ノ瀬慶視点② 

ひよりの身体は、もうすでに僕の指先の“記憶”でいっぱいだった。 

手を離すたび、そこに熱が宿る。触れていないのに、まるで幻肢のように、ひよりの感覚が僕の手にまとわりつく。 

ふくらはぎを撫で、膝裏を軽く押し、太ももの内側を、爪を立てずになぞっていく── 

「……はっ……ぅ……んっ……」 

さっきまで堪えていたはずの声が、とうとう音になって漏れはじめる。 

その音が、とてつもなく甘い。 

水滴が床に落ちた音、布を握りしめるような小さな擦過音、息の合間に混じる、湿った声の震え── 

すべてが、たまらなく美しい。 

「ねぇ、ひよりさん」 

僕はそっと耳元に唇を寄せ、声を低く落とす。 

「もっと触れてほしいって……身体が言ってるよ」 

ひよりはかすかに首を振った。けれど、それは否定ではなく、戸惑いに近い揺れだった。 

指先を、滑らせる。 

太ももの境界線。まだ触れてはいけない、“その先”の直前で止める。 

──まるで、「ここに触れて」と言わせたくなるように。 

「言ってくれたら……ね」 

意地悪くそう囁くと、彼女の指先がシーツを握りしめた。爪が白くなるほどに。 

「……そんなの……言えない……」 

やっと絞り出した声が、なんて可愛いんだろう。 

僕はそのまま、唇で彼女の耳を、そっと掠める。息をかけるだけで、身をよじる。 

あぁ、なんて敏感な生き物だ。もっと欲しい。 

でも──触れない。 

「……ひよりさんの声、もっと聴きたいな」 

その呟きに、彼女の脚がぴくりと反応した。 

──限界が近い。 

でも、まだだ。まだ終わらせない。 

まだ、触れない。 

寸前で止めるこの焦らしが、ひよりの中の欲を、さらに濡らしていくのだから── 

 

 

#一ノ瀬慶視点③ 

耳元で甘く掠れた吐息が、ひよりの奥底から零れ落ちる。 

「んっ……ふ、ぁ……」 

まるで、身体のどこかから零れているみたいな声── 

唇を噛みしめて、声を殺そうとするその仕草さえ、たまらなく愛しい。 

僕は片手で、彼女の足首を軽く固定しながら、もう片方の手を滑らせていく。 

膝の内側、太ももの柔らかいラインをなぞりながら、ほんのわずか、指の腹で円を描く。 

「……ここ、触れるだけで震えるんだね」 

意地悪く囁いた声が、彼女の首筋に熱を伝える。 

息をかけるだけで、彼女の身体が小さく跳ねる。 

くすぐったさとも、緊張とも違う── 

もっと深いところから来る、疼きのような反応。 

僕は、その“反応”を確かめるように、吐息だけで、彼女の耳壺をくすぐった。 

「ひよりさん……」 

名前を呼ぶたび、彼女の指先がシーツを握る力が強くなる。 

まるで、その一音にすべてが敏感に反応してしまうみたいに。 

「……だめ、一ノ瀬さん…、声……出ちゃう……っ」 

か細い訴え。 

けれど、その声すら、熱に溺れている。 

ぴちゃ…… 

オイルの音が、静かに響いた。 

指先が、彼女の太ももを撫でるたびに、わずかな水音が空間に滲む。 

甘く、濡れて、蕩けていくような──音だけで、感覚を侵す。 

「声……我慢しなくていいよ。出して」 

「だめっ……聞かれたら……っ」 

「じゃあ……もっと奥まで触れたら、どうなるかな?」 

言葉と同時に、指先が太ももの根元、際どい境界線まで滑り込む。 

触れていない。でも──すぐそこにいる。 

息と指先と、音だけで、彼女を追い詰めていく。 

「ひよりさんの全部……ほどけるところ、ちゃんと見たいんだ」 

その言葉に、ひよりは目を閉じたまま、ひくりと肩を揺らした。 

脚の内側が、わずかに震える。 

息のリズムが、浅く、速くなっていく。 

今──もう、“あと少し”で届く。 

でも届かせない。まだ、“触れない”。 

だからこそ、濡れる。だからこそ、欲しがる。 

沈黙が、欲を濡らしていく。 

 

 

#一ノ瀬慶視点④ 

指先が、まるで言葉のように語りかける。 

触れるたび、彼女の肌が小さく粟立ち、呼吸が微かに乱れる。 

「んっ……く、ぁ……ん…っ」 

ひよりの喉の奥から漏れるその声は、吐息とも呻きともつかない。 

まるで、抑えきれずに零れてしまった内側の熱が、そのまま音になって溢れてきたみたいだった。 

僕はその音を逃さないように、耳元に顔を寄せる。 

「……すごく、綺麗な声だね」 

彼女の耳たぶに、わずかに唇を近づけて── 

触れる、触れない、その絶妙な距離で、温もりだけを伝える。 

「ん……っ……やだ……声、出ちゃ……」 

「……僕のせい、だね?」 

甘く囁きながら、太ももの内側へ指を滑らせる。 

際どいラインをなぞるだけで、ひよりの身体が”びくっ”……と跳ねた。 

触れていない。でも、もう“中にまで”響いているのがわかる。 

ぬるっ…… 

オイルの熱で温められた肌に、僕の指が沈んでいく。 

肌の上を這うたびに、濡れた音がやわらかく空気を震わせる。 

「ほら、音……聞こえる?」 

「や……っ……んぅ……っ」 

「ここ、触れてないのに……ひよりさん、もう……」 

言いかけた言葉をわざと切る。 

その余白が、彼女をじわじわと焦らしていく。 

ぞくっ…… 

腰がわずかに浮きかける。 

でも、ベッドに押し留められて身動きがとれない。 

逃げたいのに、逃げられない。いや──逃げたいわけじゃない。 

もっと深くまで、触れて欲しい。 

でも、まだ触れてほしくない。 

その矛盾が、彼女を蕩けさせていく。 

「……どうしたの? もっと……?」 

吐息が耳元を撫でるたびに、ひよりの手がシーツを掴む力が強くなっていく。 

まるで、何かを堪えているみたいに。でももう、堪えきれない。 

「っ……あ……ぁ……っ」 

膝がわずかに崩れかけた。 

「ひよりさん……ちゃんと、僕の手で、ほぐれてきたね」 

低く囁く僕の声に、彼女の睫毛が微かに震えた。 

ああ──声も、吐息も、肌も、もう限界なんだ。 

でも、まだだ。 

ここから、もう一段、深く沈める。 

だから、僕はもう一度、彼女の名前を甘く呼ぶ。 

「ひより……まだ、いけるよね?」 

 

 

#一ノ瀬慶視点⑤ 

「ひより……感じたときは、我慢しなくていい」 

そう囁いた瞬間だった。 

「っあ……っ、や……んっ……んぅ……っ!」 

抑えきれずに零れた声が、部屋の空気を震わせた。 

耳を、壁を、ベッドを、すべての静寂がそれを反響する。 

ラベンダーとサンダルウッドの香りが、今だけ異様に甘く濃い。 

それは彼女の肌から立ち上る熱のせいなのか── 

それとも、全身で放たれる吐息が空間を湿らせているのか。 

「声……出ちゃったね」 

「だ、って……無理……そんなの……」 

脚がわずかに震えていた。 

太ももの内側に、こめられた熱がじんわりと染み出していく。 

僕の指先がその縁をなぞるたびに、とろ……っと音がした。 

「んんっ……だめっ、もう、なんか……おかしく、なって……っ」 

頬が紅潮し、眉がわずかに歪む。 

瞳を伏せたまま、それでも身体は正直に反応していた。 

「ひより……どうして、そんなに……可愛いの」 

囁きながら、わざと熱の源を避けて指をずらす。 

そう、決して核心には触れない。 

けれど、指先はまるでその周囲を旋回するかのように、焦らすように、何度もなぞる。 

「やっ……あぁ、そこっ、だめ……っ、んっん……!」 

高くなった声に、僕の喉がひくりと鳴る。 

ここまでくると、触れていないのに、彼女の中で何かが崩れ始めているのがはっきりとわかる。 

汗が、鎖骨の窪みを伝って落ちる。 

震える肩が、ベッドの上で細かく揺れる。 

「気持ちいいんだね……声でわかるよ。全部、伝わってる」 

「そんなこと……いわないで……っ、もぅ、恥ずかしいよぅ……」 

僕は、彼女の耳元にもう一度、息を吹きかける。 

「可愛いよ」 

「その気持ちよさそうな顔……僕しか知らないね」 

「っあぁっ……もぅ、やだ……恥ずかしい、やだ、でも……」 

やだ、でも、もっと欲しい── 

その矛盾の中で、ひよりの吐息は甘く崩れ、声はもう震えていた。 

ここで終わらせるわけにはいかない。 

でも、越えてはいけない一線は、まだ残しておく。 

だからこそ──今が、いちばん美しい。 

次の瞬間、僕は、耳元に唇を寄せて、 

「ひより……このまま、ほどけるところまで連れていく」 

そっと、囁いた。 

彼女の喉が、ぴくりと鳴った。吐息が、静かに震えながら、 

「…一ノ瀬さん……、うん……っ……お願い……」 

こぼれた。 

 

 

#水沢ひより視点② 

「……ひより」 

耳元で名前を呼ばれただけで、背筋がぞわりと波打った。 

その声が、低くて甘くて、どこか優しくて── 

なのに、全部わかってるくせにって言いたくなる。 

指先が触れていないときのほうが、よほど濃密。 

唇と唇が触れてないのに、呼吸ひとつで吸い寄せられる。 

わたし、今、どんな顔してるんだろう。 

「うん……お願い……慶さん…」 

返事をした自分の声が、あまりにも甘くて、まるで誰かに許しを乞うみたいに揺れていた。 

──そして。 

「……んぁっ……あ、あああっ……」 

太ももの内側を這い上がってきた指が、ギリギリのところで止まる。 

でも、そこには触れず、ただ熱を帯びた手のひらだけが、ゆっくり、撫でるように、わたしの“欲しがっている場所”の周りを旋回する。 

「ひより……身体が、すごく素直」 

耳元に落ちる声が、もうそれ自体で快感みたいだった。 

「ちがっ、ちがう……っ、そんなこと……!」 

息がうまくできない。 

胸が何度も波打って、ベッドのシーツに汗がにじむ。 

手が、熱い。 

でもそれ以上に、わたしの奥の奥が、焼けるみたいに熱い。 

「ひより……全部受け止めてあげるから、怖がらなくていいよ」 

「やだ……やだ……そんな、優しく言わないで……っ」 

甘やかされると、ダメになりそう。 

もっと焦らしてって思ってたのに、ほんの少しだけ、爪先で触れられただけで、 

「んんっ……だ、め……これ……っ、あっ……っ、あぁっ……!」 

喉の奥から、声が勝手に漏れた。 

“そこ”には触れられていないのに、今にも崩れ落ちそうなくらい、全部がびりびりしていた。 

「だめだって……やだ……でも、でも……!」 

涙がにじみそうになる。顔を背けたまま、唇を噛んで、肩を震わせる。 

でも、それすらも見透かされている気がした。 

「可愛い……もっと声、聞かせて」 

「む、りっ……もう、ほんとに……やば、い、かも……!」 

熱い。下腹部が、きゅうっとひきつれるたびに、視界が滲んで、意識が遠くなる。 

「……っ、やぁ……あっ、だめぇ……、ほんとに、もう……!」 

ぐっと、太ももを掴まれた瞬間、身体の奥から何かが、“ぱんっ”と弾けたような気がした。 

あふれた吐息と震えが、ぜんぶ止まらない。 

「……ひより、いい子だね」 

その言葉だけが、耳の奥で繰り返されて、わたしはただ、ぎゅっと目を閉じて、彼の手を握りしめることしかできなかった。 

──ふわりと、なにかが解けた。 

痛みじゃない。突き抜けるほどの快楽でもない。 

けれど、あの瞬間にしか味わえない、 

触れずに果てるような、沈黙と声の交差点──。 

何も言えないまま、彼の胸元に頬を寄せて、わたしは、そっと目を閉じた。 

「……まだ、終わりじゃないよ。ひより」 

小さく笑う声に、わたしの心臓が、また跳ねた。 

──終わりではなく、始まりだった。 

 

 

#水沢ひより視点③ 

――彼の指先は、もう、ひよりの身体のどこにも触れていなかった。 

なのに、まだ熱い。 

ひたり、と耳の奥で残響しているのは、あの低くて甘やかな声。 

『……声が、まだ響いてる……』 

呼吸を浅く整えようとしても、胸がきゅう、と締めつけられてしまう。 

両腕を伸ばしたままベッドに横たわる彼女の身体は、まるでひとつの楽器のように、彼の“間”と“音”に支配されていた。 

「……だめ、もう、これ以上……」 

唇からこぼれた吐息は、かすれ、切なさを帯びていた。 

何度目になるかわからないその喘ぎは、空気よりも柔らかく、けれど明確に色づいていた。 

彼は黙ったまま、そっとひよりの背後にまわり込んだ。 

どこを触れても、もう限界だということを──見抜いているような、そんな気配。 

オイルで光る肌の上、背筋から腰にかけて、ひよりの体温は上がりきっていた。 

音ひとつ立てず、彼の指が再び近づくと──もうそれだけで、ふるり、と身体が跳ねる。 

「……声が……出ちゃう……やだ、聞かないで……」 

彼女のうわごとのような囁きは、切実で、それでいてどこか甘やかだった。 

鼓膜の内側で、彼の息遣いが重なるたびに、ひよりの下唇が小さく震える。 

音も、間も、空気も、全てが“欲望”のために作られた演出のように思えた。 

「ひよりさん、最後まで我慢できるかな──?」 

その言葉だけで、奥の奥に響いた。 

理性のブレーキが、じゅわりと溶けていく。 

まるで耳の奥を撫でるような声。 

そのすぐあと、指先が──音もなく、ゆっくりと太ももへ這い上がってきた。 

「んっ……ぁあ、だめ、だめ……っ……」 

反射的に脚が震える。けれど逃げられない。 

まるで彼に許されたいように、身体は素直に従ってしまう。 

「さっきからずっと、ここ……熱いね」 

優しく、じわじわと中心へ向かっていく軌道。けれど、決して一線は越えない。 

まるでその“手前”を何度もなぞっては、焦らすように逸れていく。 

「声……あぁ……聞こえちゃう……お願い、慶さん…、もう……やだよぉ……」 

彼女の指が、ベッドのシーツを握りしめる。 

爪が沈み込むほど、切なさと甘さが交差する。 

あと少し。あとひと押しで、崩れてしまう。 

けれど──その瞬間、ふいに。 

彼の指が止まった。 

「……今日はここまでにしておこうか」

 

 

この余韻のまま、もう少しだけ…

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